「知られることを待っているだけ」に見えたのです、当時。

これまでのこと

こんにちは、Indigoディレクターの菊池です。

Indigoというお店を、どういう形で世の中と関わらせていくのか、そういう作戦を考えて、家具職人である亮さんと、空間コーディネーターである洋子さんとともに、具現化する10年を過ごしてきました。このブログは、その節目であるこの時期に、Indigoのこれまでとこれからを皆さんとシェアしていく目的と、書くために考えること、話し合うことで、向かうべき新しい方向性のヒントを得られるのではないかという期待もこめたメディアです(色々込めすぎなのよくないので、なるべく内容はシンプルに)。

さて、前回のブログでは、そんなIndigoも、実は私たちが出会った最初の目標は「家具屋、として世の中から認知されること」だった、というお話でした。家具はすべてオーダー家具、作ったそばからお客様のもとへと旅立って行き、お店には残らない。観光客の皆さんがお買い物を楽しめるようにと、店内はセクレクトされた古物雑貨であふれているがゆえに、Indigoは家具屋ではなく、雑貨屋として世の中に認知されている状態でした。

センスの良い古物雑貨を絶えず仕入れて、紹介していくというのは実は、想像よりもずっと大変なことです。私は仕入れに同行したことすらなかったので、えらそうなことは言えませんが、亮さんがその仕入れのためにあちこち足を運ぶだけでなく、信じられないくらい朝早い時間に働かなければならなかったりするという状況を、東京にいながら聞いていました。それだけ苦労して仕入れていた雑貨たちでしたから、それはそれは宝物のような品ばかりで、そのセレクトの評判は、観光客のかただけでなく、県内のかたからも上々でした。

でも、二人の夢はそこではなかった。二人は亮さんによる家具で、家具屋をやろうとしていた。当時はまだそこに「仕組み」が成立していなかったというのが実情だったんだと振り返ってます。加えていうならば、雑貨の売り上げだけで収益を上げていくことは、非常に難しいと言わざるを得ない状況でもありました。

だから「今すぐにサイト(ホームページ)を作ろう、そこに今までお客様に納品した家具をすべて載せよう。リアル店舗としてのIndigoには雑貨のほうが多くても、サイトを見た人がこの店が家具屋であることを間違いなく認識できるような表現の場を作ろう」というのがシンプルな結論でした。

10年前です。今では珍しいことではないかもしれませんが、当時、数十万円するような家具を、インターネットで注文するということは、まだ今よりもずっとハードルの高いことでした。おまけに私はWEBデザイナーでも、ましてやWEBエンジニアでもありません。でも、そこに確かにあったのはマーケッターとしてのシンプルな勘、のようなもので、それはつまり、「ここに東京で(全国で)求められているようなクオリティのモノとサービスが存在するのに、それが世の中に知られていない。つまりこれは『知られるのを待っているだけの状況だ』というものでした。知られることって大事なんですよ!ということですね。「在ること」と「知られる」ことをセットなんです。

そんな状況下、WEBデザイナーでもエンジニアでもない私と、家具屋なのに家具屋だと思われていないお店の、ホームページ作りが始まったのでした。あぁ、前置きだけでこんなに長くなってしまった。次はいよいよ、Indigoがインターネットという世界に漕ぎ出して行くことでう生まれた変化と、わたしたちの気づきの話について綴りたいと思います。

(最後についている画像は当時のサイトのβ版。まだスマホサイトという考え方すらなかった)

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